liner notes

23.06.13

松居大悟(映画監督・劇団ゴジゲン主宰)による「最低なともだち」ライナーノーツ(の・ようなもの)

新曲「最低なともだち」を作っている最中、なぜかぼくの脳裏に去来していたのは、思春期の頃に観たいくつかのTVドラマシリーズの記憶でした。そこで同世代の友人であり、現在は映画やTVドラマの監督/脚本家として活躍する松居大悟くんにその頃の思い出話を聞いてみたくなったのです。

志磨遼平(ドレスコーズ)



松居大悟(映画監督・劇団ゴジゲン主宰)

 十代の頃に夢中になったドラマは、シンプルに『踊る大捜査線』や三谷幸喜さんのドラマシリーズ。田舎の思春期に訪れる世の中のよくわからない悲しいニュースはテレビの向こうの出来事だと思って、水不足でタンクに貯めた水を当たり前のようにトイレに注ぎながら、世の中と切り離されたような、華やかなドラマに夢中になった。
 だけれど、テレビに釘付けになって、多感な心に突き刺してきたのは、おそらく志磨さんと同じく、野島伸司のドラマだ。中学のときに見た『聖者の行進』で衝撃を受けて、そこからレンタルビデオでたくさん遡った。いま思い返しても、登場人物は泣いて抱きしめあっていて、ぼんやり雨が降っている。のっぴきならない現実の中で、瑞々しく自分を信じてこの世界の外側のなにか(それはきっと、神様めいたもの)を恨みながら、体温に縋りついて、目の前の世界と戦い続けるような。
 毛皮のマリーズを聞いたときに感じたざわめきは、それに近かった気がする。だから僕は夢中になったのかもしれない。そしてその、世界の外側に中指を立てながら、足元では踊り続けているような視線は、ドレスコーズでは歴史や概念にまで広がり、さらに鋭利になったように感じる。「最低なともだち」を聴きながら、そんなことを考えていた。
 きっとこの歌の中に出てくる人物は、自分たちでは立ち向かえないような隔たりを抱えながら、物理的な温もりと震えを同時に抱きしめている。時間なんて物差しでは、関係を、体温を、引き裂くことなんてできない!それはまるで、あの頃のブラウン管テレビの中に出てくる登場人物たちのようであり、今では、現実がテレビの中みたいな出来事ばかりだけれど。
 何が本当で何が嘘かも信じられないような危うい土砂降りの地面の上で、それでも足元は踊っているのだ。それは踊らされているのか、踊るしかないのか、心から踊っているのかはわからない。

松居大悟(映画監督・劇団ゴジゲン主宰)

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Release
■ドレスコーズ「最低なともだち」
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ジャケットイラスト:不吉霊二 作